やっぱりさ、疲れていると気分が沈むね。
いやぁ、一昨日と昨日合わせて、ブロンプトンで50km走ったんだよね。
昔はさ、ロードバイクで一日で100km以上走っていたのに、
今はさ、二日で50km走っただけで、へとへとだよ。
こんな時はさ、何か心が弱くなるよね。
何か、寂しさだったりとかさ、虚しさだったりとかさ、自分て価値のある人間なのかってね。
アランさんの幸福論で言っていることが当てはまるよ。
やっぱり、体と心は一致していてさ、体が疲れると、心も疲れるんだね。
だからさ、落ち込む必要なんて何もないんだよ。
ただ疲れただけ。
ただ、それだけなんだよ。
疲れたら寝るでしょ。
それと一緒でさ、心も疲れているから、「気にしないで」休めば良いのよ。
それなのに、頭がさ、心が弱っている事の理由付けをしようと一生懸命頑張るんだよね。
自分はこの世界で価値が無いからじゃないか?
誰からも愛されていないからじゃないかって。
そんで心がますます落ち込んでさ、負の無限ループに突入だよね。
頭はさ、賢いんだけど、賢くないよね( ´艸`)
本質が分かっていないでさ、その都度その都度、生じた事象に対してさ、理由付けをするだけでさ。
たから頭も、ただの駄々っ子だよね。可愛いけどさ。
心もそうだよね。
じゃぁ、これを書いている俺って何?
これを感じている俺って何だろうね。
頭でも心でもない、俺は一体何者?
それもやはり、頭と心が生み出したもの?
それとも東洋思想的には、魂?
プラトン的には、イデア?
面白いね。
確かに、自分を客観視する自分は存在するのよ。それはさ、過去の自分を省みる今の自分。
今考えている自分を省みる自分。
ブロック宇宙論や、量子コンピューターでさ、この世界は合わせ鏡見たいじゃない。
無限に同じ今が重なっている。
そしてそのそれぞれの世界にさ、やっぱり自分がいてさ、その自分が別次元の自分を眺める感じなんだよね。客観的に。
そうすると今書いている自分。自分を省みる自分って言うのはさ、時間もしくは次元が異なる自分であって、自分じゃないんだよね。
だから、自分を客観視できるというか。
この世界は本当に不思議で美しいよ。俺はこの世界で生きているという奇跡を今日も、今も実感して生きるよ。

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